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健康長寿と社会

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将来、人間はこの地球上で一体「何歳まで生きられる」ようになるのでしょうか。現在でも100歳を超えて元気な姿で人生を悠々と生活されているご高齢者が存在していますが、人間は生物学的・細胞学的にみても、本来は「120歳」まで生きることが可能な「生物」であるということです。

しかし外的因子(環境要素など)や内的因子(遺伝的要素や精神的要素も含めて)によって、人間の多くは120歳の寿命まで生きるのは実際はなかなか難しいことではないかと思います。しかし沖縄のように長寿のご高齢者が多く存在している姿を知れば、その可能性は開かれたものであることを知ります。

現代科学の父と呼ばれた故ライナス・ポーリング博士は、臨床医学におけるビタミン治療の研究にも尽力されてきた方ですが、生前ある対談集の中でこう述べております。「将来、誰もが100歳、110歳までも、病気に苦しまず、何の不自由も無く生きていける。そうなれると思います。」

これから将来に亘った研究によって、人間の生体というものが完全に解明され病気の諸原因が全解明されていくならば、それに呼応する形で対処法が発見されるならば確かに人間は120歳の完全なる寿命まで確実に生きられるようになるのでしょう。

人間が病気に陥る最大の原因の中に「ストレス」というものがありますが、このストレスには「肉体的ストレス」と「精神的ストレス」があります。遺伝的要素は除外するとして、人間が健全な肉体、健全な精神を司って行く為には、まず精神的な健康というものを第一に考えていかなければならない・・・そう考えているのは恐らく私だけではないはずです。

精神的なゆとりを生む為には「余暇」や「楽しみ、喜び」、「スポーツ、娯楽」など楽しいと感じるものに価値を見出して、それらを生活の中に取り入れていく・・という考え方、行動がありますが、もちろんこういった「ゆとり」こそ健全な精神を維持していく一つの「健康法」ではないかと思います。そうすると人間がまず精神的なストレスに打ち勝っていくためには、常に心の中に「楽しみや喜び」が溢れている必要性を感じます。そしてそれは人間個々の心の中にある自分自身の欲求という「見えないエネルギー」が現実というものを通して、「実現される必要性」があるように思います。

究極的に言えば、人間個々の心の中に渇望を呼び込んでいる「欲」というある種の「精神的なエネルギー」があるからこそ、そのエネルギーを現実の生活の中で上手に変換していくことで、実はそれが健康であるための主たるエネルギーになるのである・・・・そう言えるのではないでしょうか。しかし人間の欲望そのものの中には「独占欲、金銭欲、支配欲」といった、現実の世界に不幸を呼び込んでしまう強大なエネルギーをも内包されているように感じます。

その反対に「ボランティア欲、保護欲、母性欲、父性欲、向上欲」といったような、人間を真に人間らしく成長させる「真の欲」・・・つまり健全なる精神を培う大切な働きをする欲求もあります。この相反する欲という人間の精神的なエネルギーを現実の世界でより健全に生きる為のエネルギーに変換していく為には、実は人間の「価値観」というものに視点を置かなければなりません。価値観とはつまり「生き方」であり、「人生への指標」であります。

長寿を成し遂げているご高齢者とは、そのような「善き生き方」を貫いてこられた立派な人に多いと感じますが、それは自分自身の欲というものに対する処し方が絶妙であり、素晴らしい自己統制の結果であることは事実であります。それは取りも直さず私達への健康長寿に対する「生きた参考書」であり、その健康的な長寿の姿から学んでいく必要がある・・・そういうことではないでしょうか。

今年の4月、私は以前勤めていた治療院の院長先生より、ダンス雑誌「舞land」の健康コラム執筆の仕事を薦められたのですが、編集長の高橋禮子女史はご高齢を全く感じさせないほど、優雅で清楚な面持ちでありました。初めてお会いしたのは私の治療院の待合室ですが、そこで繰り広げられた高橋女史の情熱的で20代の若さを感じさせられるような「ダンス界への理想と希望」は、そのまま女史の健全なる姿に映し出されておりました。

人間は幾つになっても情熱を持ち続けて行動することによって、いくらでも健康的な長寿を目指せるのである・・・これが一番の健康法であり、そのままを原稿にしようと思ったのですが、それでは「健康コラム」として成り立たないかもしれないな・・・と躊躇したので(笑)、このことをブログに掲載しようと考えました。

いずれにしても人間が健康的な体でいるためには、病気をしないような生活をまず心がけていかなければなりません。その為には日頃の運動・食事・睡眠の3つが整わなければならないのは言うまでもありません。

そしてそういった自己統制を成し遂げて行くための精神のあり方とは、つまり「善き生き方」の事であり、何を標榜して生活しているのか?というのは、そのまま自分自身の寿命となっていくということではないでしょうか。

つまり・・・長寿を迎え、現在も100歳を超えて元気な姿で生活しておられるご高齢者の皆様を大切にするような社会を構築していく・・・そういった事を皆んなが考えて、この国に築いていくことが、まず第一の目標であり、そういった方々をサポートする体制を敷くことです。国の政治というのは、その為に働かなくてはならないはずです。

多くの元気な若い世代の青年達が社会からニートだ、フリーアルバイターだと呼ばれながら、それでも彼らは彼らなりに世の中で必死に生きていますが、彼らにとってもそれはその後の長い人生にとっては避けられない問題です。まず社会保障というものが長寿者をしっかりとサポート出来るだけのシステムに再構築しながら、若い世代の人達がその後の人生を安心して暮らせるような社会を創りあげていくことが必要ではないでしょうか。そしてその間に位置する私達の世代がこれらを成し遂げていくことを標榜していかなければならないし、それが世の中を良くする・・・ということではないかと思います。

私達人間は社会とは切っても切れない関係性にあり、各人の生き方や考え方そのものが直接的・間接的に社会現象として現れているに過ぎないことを知ります。それらをしっかりと見つめ考えを持ち、まず行動を起す中で社会を改善していく為の「イエス、ノー」を表現していかなければなりません。社会に無関心であるということは、そのまま「自分の生に対する無関心」に通じており、それが現在の日本の社会的な陰に潜んでいる「精神的なストレス」ではないかと思うのは、実はこういったことからです。

意志有る人々の中には既にある問題でありますが、この日本はもとより,どの国においても、経済の発展と人間の長寿というものが正しくリンクしていくようにならなければ、本来 「長生きするということが幸福である」・・という価値観が心の中で芽生えていくはずがないのです。これはこれからを生きる若い世代の人達にとって考えていかなければならない問題でしょう。その為には若い世代が夢を実現していくための環境を国がしっかり整えて、その誰もが平等に学び、そして各人が成長を遂げていく事の出来る社会というものが真に築かれていくことが、次なる世代の長寿者を支え、この国の繁栄に結実していくものと思います。

健康×長寿=幸福な人生

その為に何が必要で、何が不要なのか?それが人間の生き方に通じており、将来の自分の姿、社会の姿であることを考えながら、まずは足元の一歩から・・・それが健康の法則の一つではないでしょうか。