腰痛の実像・・プロ・スポーツの現場を通して感じてきたこと
一般の方々も良く目にしている腰痛・・・それは一般的に「ギックリ腰」と呼ばれているものではないでしょうか?このギックリ腰を西洋医学的に説明しますと「急性腰痛症」とか「筋・筋膜性腰痛症」ということになります。急激に襲ってくる腰痛は激痛を伴い、その場で崩れ落ち立っているのが辛いといったような状態になります。運搬業の方や職人さん、主婦やサラリーマンなど・・日々労働や家事で背中や腰に疲労を伴っている方々によく訪れるようですが、もちろんその腰痛の原因となれば様々なものが挙げられます。
プロ野球の選手達も、このようなギックリ腰になってしまう人達が沢山存在しましたが「筋・筋膜性腰痛症」のような割と軽い障害の場合もありましたし「腰椎椎間板ヘルニア」のケースのように治るまでに何ヶ月も時間を要したような障害もあります。
ギックリ腰と一言で言っても、その原因となれば多種多様です。朝の起床時に「ギクッ」となった人もいれば、車の乗り降りで「ギクッ」となってしまった人もいますが、大抵は【朝 起きたときから、どうも背中の方に違和感があった】とか【前日から背中が攣るような感じがあった】とか前駆症状はあるものです。その時にはさほど痛みは無いので【そのままにしていた結果】・・・腰を痛めてしまったという経過が見て取れますが、もちろんスポーツ選手の場合には厳しい練習を行っている最中に激しい腰痛に襲われ動けなくなってしまったような人もいるわけですが、通常はそれほど多くはないケースでした。
そういう意味ではコンタクト・スポーツのように激しくぶつかり合うような状況が生じないスポーツであれば、外傷性の腰痛というのはそれほど多発するものではないということになります。
外傷性腰痛症のように【外力によって腰の筋肉や椎間板、または腰の骨を損傷】した場合は、交通事故のようなもので一般的な腰痛の起因としては確立は低いものでしょう。
一般の方やスポーツ選手に置き換えても、体幹筋群(股関節、骨盤、脊柱を支えている筋肉群)が有る程度しっかり機能していれば、腰痛はそう簡単に起きないということになってきますが、一般の方々の場合には反対に、このような【体幹筋群の弱化】や【姿勢の悪さ】【体の使い方の不適応】【蓄積され過ぎた疲労】が起因となることが多いと思います。
特に運搬業や職人の方は【腰部に関する過加重】や出産後の女性なら【骨盤の偏位】や【乳幼児を日々抱っこする際の腰への繰り返された負荷】など・・・起因は様々な生活の中の【自然発生的な負荷】によるものではないかと考えられます。
患者さんから「腰が痛いんですが・・」と訴えられても、痛みが起こるには様々な原因があることをまず考えなくてはなりません。内科的な疾患・・・つまり腎臓結石や糖尿病、または悪性腫瘍などでも【腰痛】は発生しますから、腰の痛みを沈めていく施療を行う場合の判断というのは、患者さんをただ外から見ただけでは簡単に原因を特定できない場合もありますから慎重に行われるべきでしょう。
ただしその患者さんの【痛がりかた】や【痛みの出る姿勢】それから【どんなときに痛みがあるのか】という情報分析からおよその判断がつく場合も当然あるということになりますが、ある一定の期間、施療を行っていくうちに痛みの質に変化が現れることもあります。ですから初めに既往症や現病歴、それからクライアントさんの体質的な問題や年齢などを考慮してから施療を進めていく事が必要です。
ただのギックリ腰だと思って整体治療を何度も受けたり、骨盤の牽引などを受けていたけれど、その後も痛みが全く引かず、それどころか更に痛みが日に日に増して悪化している・・・そういうケースだって沢山あるわけですから、施療する側は最低限押さえていくべきポイントを押さえていくことをまず一番初めに行っていく事が大切なのです。それが技術を過信し過ぎない・・・ということになります。
そういうことからもクライアントさん自身も腰痛が発生した場合には、それをただの【ギックリ腰】だ・・・という風に自己判断しない方が良いのではないかと思います。
プロ・スポーツの世界で数ある腰痛のケースを見てきた中でも、軽度の腰痛以外は西洋医療機関でまず【レントゲン検査】を受け、腰の骨の状態を確認して貰うことがありました。また【MRI検査】を受けて脊柱(背骨)の椎間板の状態や腰の周囲の筋肉の状態をきちんと確認して貰ったりして、それでも判断がつかないようであれば【骨シンチ検査】などを受けて患部の炎症徴候などを確認して貰うこともあったのです。
このような詳細な検査情報から腰痛の原因を判断していくことは、選手の現場復帰がどの程度かかるのか?ということを判断する為でもありますが、何故なら軽いギックリ腰程度なら3日から遅くても10日間程度の施療やリハビリで簡単に治ってしまうことが多いのですが、もし腰椎椎間板ヘルニアと診断されれば2ヶ月から半年以上もかかることがあるわけです。ですから腰痛の真の原因によっては、治る見込みの期間にも幅が出てくるわけで我々が日々施療を行う中である程度の期間で治っていくものもあれば、治る期間が長期化してしまうものがあるということからも、その必要性を重視してきたからなのです。
しかし医学的検査によって得られた情報(検査した撮影像)からも全く判断がつかないような腰痛が実際にはあって、そのようなときには【心因性腰痛】と診断が付く場合もあります。西洋医学でもこの辺りを説明するとなると【腰背筋等の機能不全】といったような、やや曖昧な表現に成らざるを得ないということもありますが、要は【腰の周辺の筋群がちゃんと機能していない】ということによる腰痛と言う訳です。
この【心因性腰痛】は、精神的ストレスが原因で発生していると言われています。【痛み】そのものは他者には見えないし、触(さわ)る事もできません。西洋医学では痛みを数値にして表す検査はありませんから、神経的な痛みを視認して確認する事は不可能です。レントゲンにもMRIにも異常が無い腰の痛み・・・これはドクターも治療の施しようがありません。
このように痛みを訴える本人が実際に【痛み】を感じていても、病院などの検査で異常が無ければ、治療の施しようが無いわけで、このような腰痛症こそが一番医療機関でも対応が遅れている分野であり、最も治し辛い障害となっているようです。ある本の内容によると、このような心因的ストレスから発生している腰痛の原因とは、内面的な感情の中に鬱積(うっせき)した感情・・・【怒り】であると説明されていたことを目にしたことがあります。怒りとは環境に対する【不満】であるとか【誰々に対する攻撃的な感情】だとか【自分への不甲斐なさ】であるとも感じ取ることが出来ますが、【自己嫌悪や他者嫌悪】のような心の閉塞感から生み出された精神性による腰痛こそ心因性腰痛の原因では無いか?とも言われているのです。
このように様々な原因・起因によって発生してくる腰痛ですが、起因そのものは経験値からくる判断でどのようにでも憶測が出来ると思います。腰痛を治そうとする場合には、まず原因を追求しながら、それを【証】として施療を加え、辛い痛みを快方へと向わせる必要があります。その為には様々な情報を検証する必要があるのですが、施療を正しく行い有効な施療を加えていくためには必然的に求められる姿勢ではないかと思います。
特にスポーツで起こっている腰痛の場合には【外傷性】のものと【障害性】の二つに大きく分かれるということになりますし、一般の方々の場合には【疲労性】や【経年性の脊柱部変形】から生じる場合や【内科的疾患】が原因となる場合もあるでしょう。
私の数ある障害に関する対応の中でも腰痛に対して施療を行う場合には、あらゆるケースを頭の中に想定しながら施療を行うことが必須になっています。スポーツの世界でも一般の世界でも言える事は【心因性】を原因とするような腰痛は当然どちらにも存在するし、実はそのような心因的なストレスを潜在的にもっている人ほど、ギックリ腰やその他の様々な腰痛へ移行しているケースも少なくないのではないかと私自身は感じます。
それは長い間プロ・スポーツの世界で腰痛という障害に多く関わってきたからこそ感じる最大の実感ですが、当然これは一般の方々にも当てはまることでは無いかと感じています。そう考えたときに我々が行う施療の道筋も、患者さんの立場に立った心の総括的な面をサポートしていくことの必要性を改めて感じていますが、信頼の上に立って行われる施療が、その有効性を確立していくのではないかとまず感じます。
人間は有る面においては「自分の心の中にこだわりを持っている」・・・と言われています。そのこだわり自体を誰かと共有すべきことと、あまりそれが意味を成さない事があるということも、知らず知らずのうちに誰もが気がついています。そしてそういった凝り固まり過ぎた心の状態を自分自身の中でずっと堅持し続けていくと、自然とその心の影響から身体的な異常を生みだしていく事もあるのではないかと思います。「自分が我慢しなくては・・」「自分がやらなければ・・」といったように、「~しなければ」というのは、そういった心の一面性を現した言葉になりますが、そのような「自分の中のこだわり」そのものが、誰にも理解されないときに表出する身体症状の中に「腰痛」というものが含まれるということもある・・・そう有る人が説いていたことがありました。
「開く」ということと「閉じる」という二面性を論じるならば、自分自身の「心を開く」ということは、その「弊害になっているこだわり」そのものを一度省みることから始めなければなりません。そしてそのこだわり自体が不必要であるものならば、一度心の中から追い出してしまう必要があることをまず知ります。人間の身体というのは実は自分自身の潜在的な心と相違無い状態に有る・・・それは古くから伝わる「心身不仁」という言葉からも言えるのでは無いかと思いますが、人に施す治療というものも、ただ単に身体構造を整える為だけにあるのでは無く、「その身体を司っている心を開く」為にも存在している・・・ということを知ります。
それこそが私の施療に対する一番大切なベースとなっていて、それが多くのクライアントさんとの心の絆を深めゆくことの大切さを学ぶ大きな原点ともなっているのです。相手を信じる・・ということからまず始めていかなければ、一にも二にも施療という行為は他人に対して行えないものなのです。(by 院長)