プロ野球メディカル・トレーナーから地域の治療院・開業へ
私がメディカル・トレーナーとして日本ハムファイターズに入団したのは、年号が「平成」になってから僅か数年の頃です。
年齢で言えば専門学校を卒業してから2,3年を経たくらいの頃でしたので、まだまだ経験も浅く、多くの課題を抱えながらの毎日を過ごすこととなりました。
日本はバブル経済が崩壊し、長らく景気低迷を続けていく「入り口のような時期」だったこともあるのか、私が入団してから数年後には日本プロ野球界でも様々な変節がありました。
ドラフト制度やFA制度の問題、1リーグ制提起問題、球団売却など、様々なプロ野球界の問題や出来事を内側から見つめながら、私は裏方として仕事を続けていました。
その後、ファイターズが身売りされることも無く、最後まで同一球団で仕事を続けることが出来たことはもちろん幸運なことでしたが、何よりもチームが2006年に日本チャンピオンになったことは、私にとって最大の幸運だったのかもしれません。
何しろ入団当初は万年Bクラス、パリーグは西武ライオンズの黄金期でした。
私は数年間ファーム専属トレーナーから経験させていただき、名将・上田監督就任の際、1軍専属トレーナーに転属することとなります。
パ・リーグにはあの怪物・松坂投手が西武ライオンズに入団、オリックス・ブルーウェーブには首位打者イチローが。そして近鉄バファローズの野茂投手はメジャーへと移籍しました。また九州・福岡には世界の王さん率いるダイエー・ホークス(現在はオーナーが変わってソフトバンク・ホークスとなりましたが)には、秋山元監督や現・工藤監督といった名選手達も在籍しており、話題性には事欠かないくらい素晴らしい選手達がパリーグの野球を盛り上げていた時代です。
日本ハム・ファイターズは「ビッグバン打線」の呼び声も高く、試合前半に5点差が開いてしまっても、打線が爆発すればすぐに優位に立てるほど爆発力のある打線に成長。名球界入りした田中幸雄選手や小笠原道大選手を筆頭に、片岡選手、ウイルソン選手といった強打者揃いのファイターズはリーグ優勝戦線へと導かれつつありましたが、2度のチャンスを逃してしまいます。それは今から約20年前の1996年、1998年のお話です。
その間、今でも記憶に残っている出来事があります。それは打者への頭部デッドボール(死球)やピッチャー・ライナーが投手の顔面を直撃する・・・といったような危険な状況です。内野手の顔面にランナーがぶつかってしまい、内野手の片側の眼球だけが全く動かなくなってしまった・・・なんていう出来事もありましたが、とにかくそういったアクシデントの際に「トレーナーとして適切な対応を行う」ということは最も重要な任務ですから、そういった危険な状況のことだけは今でも鮮明に覚えているし、一生忘れないでしょうね。
トレーナーというのは常にチームに帯同しています。今日は福岡で試合、明日は神戸、そして5日後からは東京、その後は千葉、埼玉・・・と年間を通して120試合(現在は140試合以上)が組まれていますから、仕事以外に移動・移動の日々となります。新幹線、飛行機、大型バス、タクシー、地下鉄、また自宅からは自家用車を使って直接球場入りすることもありますが、そうやって様々な交通機関を使って移動を繰り返しています。
たとえば北海道の札幌ドームから神戸で滞在するホテルへと移動する場合には、まず札幌ドームから大型バスで千歳空港まで移動します。そして千歳空港から飛行機に乗って関西国際空港へ到着。関空から神戸のホテルへは再度大型バスで移動。その間、空港での待ち時間を含めれば約5時間程ですが、札幌ドームのデーゲームが終わって午後6時過ぎに球場を出発すると神戸のホテルへと到着する頃は午後11時過ぎです。
ですからそういった移動時間を含めれば、プロ野球選手達も関係者もシーズン中は拘束時間が非常に長くなるので、「自分の家族と一緒に生活する時間は短くなる」と、そういうことになるわけです。またシーズン中は連休などは全くありませんから、家族と一緒に旅行に出かけることなど到底出来ません。全部日帰りドライブです(笑)
長男がまだ2、3歳の頃のエピソードですが、仕事に出かける際に「また来てね。」と言われたこともあるのですが(苦笑)、それだけ自宅に居られなければ、子供から外部者として扱われても仕方が無いくらい、外で仕事をしていたわけですね。ですから反対に言えば、チームの選手達や関係者達は「大きな家族」のようなものでしたから、そういった面で言えば、酸いも甘いも全部が全部共有出来たのではないかと思うわけです。
そうやって思い出話をしても、今は地域の治療院の院長として仕事をしておりますので、随分と生活様相も変わりました。何しろ自宅に帰らない日はほとんど無くなり、朝御飯も晩御飯も家族と一緒に食べていますし、たまに旅行へと出かけることだってあります。
体の大きいプロ野球選手たちの怪我の治療やスポーツマッサージでケアを施すことも少なくなりましたが、今では小学生から大学生・社会人の野球選手の方々を治療したりケアする日々に変わりました。また地域のご高齢者が毎週治療院にやってきては、身近な生活の話題で盛り上がったり、ご家庭の主婦の皆さんからは育児中のお悩みもよく耳にすることとなりました。
また近くの公園で高校球児とキャッチボールをしては投球フォームの話をしたり、体幹トレーニングやランニングについてお話をすることもありますが、先日、知人から誘われて岸根公園でナイター草野球に参加させて貰い、ピッチャーで1イニングを登板して何点も失点してしまい非常に申し訳なく思っている次第なわけですが、そうやって自分で野球をプレーすることによって野球というスポーツの大変さや面白さを肌で実感することもあります。
多くの皆さんとのコミュニケーションの中で私自身のやってきた仕事は地域の中で根付くことが可能になったのだと思いますが、今後も様々な形で皆さんとの交流を築きながら、皆さんの幸せの為に仕事を続けられることが私自身の一番の望みです。
ここでは詳細は省かせていただきますが、今後の10年は野球選手達は元より地域の皆様、また遠方からお越し下さる皆さんにとっても、更に価値的な時間となるように・・・・そして私自身の大きな夢をここから更に実現させていくことが皆さんのお役に立っていくことだと強くそう信じて日々の仕事に汗を流しています。
なかなかブログ記事の更新もままならないことも多くなりましたが、ここへおこし下さった皆さんが毎日の生活を笑顔で過ごして下さること・・・それが私の大いなる望みとなっています。
今日はトレーナー時代から治療院開業後に至るまでのお話でしたが・・まだまだお話は尽きないので改めてまた機会があればここで何かお話をさせていただきたいと思っています。それでは。(by院長)