人生の処方箋・・・「生きる」
ここには先天性四肢切断という障害を持って生まれた、乙武さんの小さい頃からのエピソードが掲載されております。
人生の処方箋/障害(先天性障害)
乙武さんには私も以前、東京ドームで何度かお会いしたことがあって、もちろん挨拶をしたぐらいなので本人のお話しを直接伺ったりしたことは無かったのですが、彼の堂々とした人格やテレビの画面から伺った知才ぶりは皆さんも良くご存知の通りだと思います。
私はこのウェブサイトのエピソードを読んで、心から感じた事がありました。
彼が生まれたばかりのお母さんの関わり方に関する素晴らしいお話しや、小学校での学友や先生達とのエピソードがとても印象的だったのですが、障害を生まれながらにして持った乙武さんが、どうしてあれだけの光を放ちながら生活をし活動されているのかが、それらを通じて良く理解する事が出来たということなのです。そして身体障害という「大きな壁」を外から見ていた私の感覚と、実際に障害を持って生まれた乙武さんの心の在り方には大きなギャップが存在していることにも気が付かされたのです。
私には手もあるし足もあります。しかし、もし今この手足が私の体から無くなったら一体どんな気持ちで生きる事になるのかを想像しただけでも、それは嫌で嫌で仕方がありませんし、もしかしたら自殺したくなるくらい辛い出来事になるかも知れません。
生まれながらにして備わる身体的機能、つまり目が見える、耳が聞こえる、手や足があって、痛みも快感も感じられるということ。それから精神的機能、つまり物事を思索したり、感動したり、創造することが出来るということ。それらが全て自分自身に備わっているということが、どれだけ素晴らしいことなのか本当は解っていなかったんだ・・・と、乙武さんのエピソードを読みながら私は考えさせられました。だからこそ障害をもった乙武さんのハンディというものがどれだけ大変な事なのかということを考えてみたのですが、そこには私自身の大きな思い違いというものがあったのです。
乙武さんの心の中は雲ひとつ無い晴れ渡った青空のような境地であり、自分自身をしっかりと築きながら立派に生きておられます。彼は小さな頃から手足が無いという事を自分の「特長」として捉えていたのです。乙武さんというのは本当に凄い人です。素晴らしい人間ですね。世の中には彼のように身体的なハンディを背負いながらも、悠々自適に人生を謳歌している人もきっと沢山いらっしゃると思いますし、そのハンディを悔やみ、嘆き、苦しんでいる人達ももちろん大勢いらっしゃるのではないかと思います。
限られた身体的機能という現実があっても、誰かの援助や介助を最小限に受けながら、しかし自分の事は自分で解決していくという強い意志、そしてハンディは自分の特長なんだという自尊心が備わっているからこそ、乙武さんのような素晴らしい生き様を表現し貫くことが出来るのだ・・・ということを心の底から感じることができました。
ここで乙武さんが自分自身を省みている言葉をここに記しておきたいと思います。
【「大切にすべき自分」とは、一体何者なんだろう?と考えた時、真っ先に出てきたのは「障害者」と言う文字でした。これは僕にとって驚くべき事でした。と言うのも、それまで「自分が障害者だ」と言う事を意識して生きて来た事が無かったのです。であるならば、どうして僕は障害者なのでしょう。多くの人が健常者として生まれてくる中、どうして僕は身体に障害を持って生まれてきたのだろう。そこにはきっと意味があるのではないだろうか。障害者には出来ない事がある一方、障害者にしか出来ない事もあるはずだ。その事を成し遂げて行く為に、この様な身体に生まれてきたのではないかと考えるようになったのです。
そして次の瞬間「何をやっているんだ、自分は!」と思ったのでした。そのような役目を担って生まれて来たのであれば、僕はとてももったいない生き方をしている事になる。折角与えてもらった障害を活かしきれていない。言ってみれば「宝の持ちぐされ」なのです。乙武洋匡にしか出来ない事は何だろう?この問いに対する答えを見つけ出し、実践して行く事が「どう生きていくか」という問いに対する答えになるはずだ。】
素晴らしい言葉です。本当に素晴らしいと思います。そうなんですね。自分にしか出来ない事があるから、私達は今ここに存在しているんですね。私もまた一歩一歩階段を昇っていくようにしながら、日々努力をしていきたいと思っています。
乙武洋匡オフィシャルサイト
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それからお医者さまの観点から、人の死に際に際する良いお話が書いてありましたので、こちらもご紹介したいと思います。
人生の処方箋(死ぬ時を見ると、どんな人だったか分かる)
私の妻は老人介護施設に勤める看護師です。仕事柄、ご高齢者の亡くなられる場面に接する機会があって、妻からはそんなご高齢者の方々の死に際する様々なお話を聞くことがあるんです。それは数年前のお話だったのですが、ある日 九十歳になるお爺さんが施設で亡くなったそうなんです。そのお爺さんは家族がお見舞いにいらっしゃると、とても元気になって不鮮明だけれど、そのご家族に色んなお話をしていたそうなんです。そのおじいさんが看護師の皆さんに看護を受けている最中に、ある日こんなことをおっしゃったそうです。
【「人間には使命があるんだよ。みんな使命があるから生きてるんだ。ぜーんぶやり終えたら、ワシのように死ねるんだからね。みんな覚えておきなさいよ。」】
妻は就寝間際に以前、私にそんな話をしてくれたのですが、その後にお爺さんが亡くなったそうなんです。そしてその死に際は本当に安らかで幸せに満ち溢れたお顔をしていたそうなんです。私はそのお爺さんにお会いはしていませんでしたが、そのお爺さんの事を考えたときに、何故か嬉しい気持ちになっていたんです。看護師の皆さんに仰った言葉が私の心にも響いていたからです。人間が生きる・・それは凄い事ですね。そして私もそんなお爺さんのように大切な言葉を未来の人達に遺せるように生きていきたい・・そう思ったのです。
また昨晩、テレビの番組で先天性難聴の山形県生まれの女性が、「自分の夢」である歌手を東京で目指している・・というドキュメンタリーを見ていました。彼女はジェット機の爆音を間近で聞いて、やっと少しの音が聞こえるという程の難聴で、幼い頃に母親から人の唇を見て何を話しているのかを読み取る訓練をさせられてきたというのです。そして何度も何度も「あ」や「か」といった音声を練習して、やっと喋る事が可能になったのです。幼い頃にはテレビの音楽番組を見ながら、見よう見まねでアイドル歌手の歌を歌うのが大好きになった彼女は大人になって都会に出てきて就職をします。そして毎夜 仕事帰りに聞いていた路上でギターの弾き語りをしている男性にある日彼女は話しかけました。彼女はストリートライブを行っていたその男性といつからか一緒に手話と踊りで参加し始めました。
その二人が「アツキヨ」というユニットでメジャー・デビューすることになったのですが、当初 彼女はそのメジャーデビューする為の歌『kiseki~もうすぐおこる奇跡を信じて』を練習する中で挫折しかけていました。何故なら彼女は難聴によって自分の声が聞けないのですから、歌の音程を取ることは不可能に近いほど苦難を極めたからでした。しかし相棒の男性の励ましや皆から貰った励ましの寄せ書きのおかげで、レコーディングを最後までやり遂げ、遂にCDデビューを飾る事が出来ました。私はこの二人の姿から、夢は必ず叶うと信じて生きるということの素晴らしさやその生き様に感動しました。だからこそ「今 この時」という人生がきっとあるんですね。