« 6月の梅雨空と新潟の「ドカベン」 | メイン | スポーツによる肩関節障害&野球肩 <種類と判断・対応・処置> »

スポーツ哲学とモラル・ハラスメントについて

Th998sk38jdakas


学生の皆さんの中から嬉しいお知らせを沢山お伺いしておりますが、先日、シニアリーグで活躍してきた○○君が訪れてくれ、「東北高校へ進学し硬式野球部に入部します。」・・・と伺っております。

また桐光学園・硬式野球部の○○君からは、「明治大学へ進学し、更に上を目指して頑張ります。」とのお話を伺いました。

中学生は高校生に、高校生は大学生に・・・と、ステップ・アップしながら、今まで情熱を傾けてきたスポーツへの意気込みを更に高めていこうと凛々しい姿を間近に見せていただいております。

次へのステップへと力を注いできた皆さんが、新たな環境の中でも大活躍できますように・・と、私も心から祈っております。どうぞ皆さん、これからも上を目指して頑張ってくださいね。

また今年に入ってから各種スポーツ活動の中で故障や怪我をされ、ここ横浜・多宝堂へとお越し頂いた学生の皆さんや社会人の皆様が沢山お越しくださいました。その中で本当に色んなお話をお伺いしておりますが、部活動における人間関係でお悩みの方も中にはいらっしゃっておりました。

詳細をここでお話することは致しませんが、指導者の言動や考え方というものは、そこで活動している選手達の人間関係というものにも大きな影響を及ぼしており、その力は良くも悪くも働いていく・・・というテーマです。

これはどんなスポーツの世界にも通じるお話ですが、もちちろんスポーツの世界だけに留まるものではないし、社会全体にも通じるお話ではないかと思いました。

近年、相撲界や柔道界がテレビ・ニュースを非常に賑わしておりましたが、パワハラやセクハラ等によって活動している選手達が苦しんでいる・・・といった実情を根本から変革していくために、指導者上層部の方々が一新されておりましたよね。

ある面においてスポーツは勝負の世界ですから指導的に厳しい場面があるのは当然なことかもしれません。しかしそこで指導されている責任者自身の指導法を徹底していく為に、選手からの言動は何が何でも許さない・・・といった風潮は時代遅れである・・・というのが、今の「主流」になりつつあるのは理解できることです。

それは一にも二にも、まず「信頼関係」があってこそ「指導」というものがきちんと成立するわけですから、指導者と選手が共に同じ目的へと向かう途上で生じるだろう、葛藤や試練を乗り越えていく為にも、両者の「絆」といった力が本来は求められているからではないでしょうか。

日本はいま東北復興を目指す最中で、「人と人との結びつき」や「助け合いの心・精神」・・といった「人と人との絆」を一つのテーマにして各マスメディアでも多くの方々が熱く語っておられますし、スポーツの世界にこそ、そういった「絆の世界があって然るべし」という考え方は大きく頷けることではないかと私も思っています。

やはり選手達からの率直な意見にも耳を傾けつつ、そこから何らかのヒントを得ながら、新たな試みを行っていく・・・といった姿勢は、両者の溝を埋めることにも繋がっていくだろうし、それが信頼関係・絆の世界へと結ばれていくのではないかと思います。

指導というものに対して、選手が全幅の信頼を置いていなければ、指導はただの号令となり、それがいつしか野蛮になり野蛮はいつしか暴力に変貌することがあるかもしれません。又、そういったことで心に傷を負ってしまうようなスポーツ選手がいるのも一つの事実ではないかと思います。

そのような心の傷を負ってしまった選手を癒やし立ち直らせていく為には、周囲の支えや愛情は欠かせないものなのです。だからこそ両者が相互理解を深めゆく為の「時間」を大切にしていかなくてはならない・・・そういうことではないでしょうか。

勝者がいれば敗者が存在するのもスポーツの世界ですが、そのどちらの立場に置かれたとしても、「フェアプレーの精神に立脚する。」といった根本的哲学があるからこそ、スポーツにおける勝負の世界というものの真髄が現れてきます。

「人間として卑劣である・・ということ自体が既に、その人はスポーツマンではない・・・ということ。」又、「たとえスポーツを表面的には行っているとしても、モラル・ハラスメントを平然と行うような者は、スポーツを指導したりプレーしている真の意味が全く理解できていない人間だ。」といったお話しを以前どこかで耳にしたことがあるのですが、私も全く同感だし同じ意見です。

このモラル・ハラスメントに関する問題というのは、あらゆる角度から多くの方々によって意見が寄せられております。いわゆる「いじめ問題」というのは、それを行う側と行われる側との善悪の二極化によって論じられてもいます。しかし深層を鑑みれば、そこにあるものは、人間のエゴの世界そのものであって、「自分さえ良ければいい。」という、自己中心性の心の問題が顕現しているようにも思えます。

「いじめ」が学校や部活動といった一つの小さな枠の中に存在している・・それ自体が実社会の影として投影されているのではないか・・そのことを深く深く考えさせられますね。

そう言えば・・・以前、「半沢直樹」というテレビ・ドラマが高視聴率を稼いでいたのは記憶に新しいところですが、あのドラマのストーリーにも共通点を見出すものの、「やられたらやり返す・・倍返しだ!」と・・・やってしまえば、身も蓋もありませんし、それでは全てが解決しないからこそ「モラル」とか「哲学」が必要になっていくんじゃないでしょうか。

多くの人間がそのスポーツに携わっていればいるほど、絆を共に深め合う為の努力と相互理解を根本にしながら目的へと前に進んでいく、向上していく・・・そういった心を保ちゆきながら、麗しい絆がスポーツの世界に花開いていくことを願っています。

またここ横浜・多宝堂へお越しくださった皆様は純粋な心でスポーツを行っていらっしゃいますが、そういった皆様がこれからもスポーツを愛し続けていかれることを心より願っております。

今日はここ最近の出来事や考えていたテーマについて、少しだけここに綴らせて頂きました。

まだまだ寒暖の差が激しい日も多いようですので、皆さま、どうぞご自愛下さいますようお願い致します。それでは。(by院長)